熊本市議会 2022-06-14 令和 4年第 2回定例会−06月14日-02号
質問に先立ちまして、ロシアのウクライナ侵略という暴挙により亡くなられた方々と御遺族に心からお悔やみを申し上げますとともに、戦時下でまた避難先で厳しい生活を余儀なくされているウクライナ国民に心からお見舞い申し上げます。
質問に先立ちまして、ロシアのウクライナ侵略という暴挙により亡くなられた方々と御遺族に心からお悔やみを申し上げますとともに、戦時下でまた避難先で厳しい生活を余儀なくされているウクライナ国民に心からお見舞い申し上げます。
単純に資料やパネル写真を展示するだけでなく、映像や音響技術を駆使し、戦時下の具体的な市民の暮らしや空襲の被害といった情景が来館者の心に深く残ることを目指しております。
賃借料ということだと思うんですが、この質問を何でしようかと思ったかといいますと、戦時下の貴重な資料だとか平和に関する資料をかなり持っていらっしゃるということ、あと、そういった情報がだんだん失われていくというところで、学校教育としても必要だし、地域の皆さんに知っていただくということでも必要な資料、情報だとは思ってはいるんです。それがあまり活用されていない現状もあると思います。
一方、戦時下に造成された臨海部の埋立地には、基幹産業となる川崎製鉄の誘致と千葉港の整備が進められ、消費都市から生産都市へ大きく変貌したとのことであります。 また、高度経済成長期には、首都圏の人口の受皿として、内陸部や臨海部での大規模な埋立事業により、日本住宅公団など公的な住宅団地が建設され、人口が急増しました。
更に、市民の戦争体験や戦時下の暮らしの様子、戦後の復興を果たすまでの町の変遷などを伝える仮称平和資料館を、勝山公園の駐車場敷地を利用して建設することとしており、本年度に着工の予定です。 このように、平和を希求するさまざまな取り組みを行っている本市には、戦時中に築かれた多くの堡塁や砲台が今なおその跡を残しています。
それをきっかけに、1996年に北九州に平和資料館をつくる会を結成し、小倉北区片野に戦時下の遺品を展示する平和資料館準備室を開館し、北九州に平和資料館をつくる運動に取り組んできました。仮称平和資料館は再来年度に完成の予定ですが、戦争の悲惨さと平和のとうとさを伝えるためには必要不可欠な施設です。また、更なる本市の戦争遺跡の調査、保存も必要で、市街地に隣接する危険な弾薬庫も大きな問題です。
(81番瀬戸一正君登壇) ◆81番(瀬戸一正君) 皆さん御承知のとおり、ことしのノーベル平和賞が、戦時下の性暴力根絶に取り組むコンゴ人の医師と女性人権活動家の2人に授与される、こういうニュースが世界中の性暴力と戦う人々に大きな勇気を与えております。 ノルウェー・ノーベル賞委員会は、その受賞理由についてこう言っております。
明治憲法の下,戦時下の京都ではどんなことが起こったでしょうか。1940年,絹織物,染め物,刺しゅう品などはぜいたく品として製造販売を禁止され,西陣,室町では多くの業者が廃業に追い込まれました。清水焼の産地でも多くの業者が廃業に追い込まれ,清水焼の窯では陶器製の手りゅう弾が焼かれました。ほかにも京友禅,餅菓子,豆腐など,当時京都の産業は壊滅的被害を受けたのであります。
市民の戦争体験や当時の暮らしを物語る資料等を保存、継承していく施設、戦争の悲惨さや平和の大切さ、命のとうとさについて考える機会を提供する施設をコンセプトとし、戦時下の市民の暮らしや戦後復興を果たした町の姿を伝える、市民の戦争体験や当時の暮らしを物語る資料等、戦争の記憶を受け継ぐ、北九州の戦争の記憶に触れて、ふるさとを愛する気持ちを育む、人々の交流の輪、資料館の活動、魅力を広げるを目指すとしています。
女性に対する暴力は、被害者の尊厳を傷つけ、人権を侵害する行為であって、戦時下を含めていかなる状況でも許されないものであると認識をしています。暴力の根絶に向け国際社会において取り組みが必要であると認識をしています。
このため平和記念資料館では,核兵器の危険性ゾーンにおいて核兵器開発の経緯やその脅威を解説するとともに,広島の歩みゾーンにおいて戦時下の広島に触れる中で日本による朝鮮の植民地化と戦時動員,また,中国大陸への出兵・転戦などについても解説しております。 次に,アウシュビッツには日本語のパンフレットがあるのに平和記念資料館は日本語と英語が併記されたものしかない。
こうした本市の歴史を踏まえ、空襲に関する資料や米国国立公文書館が所蔵している資料、長崎市の原爆に関する資料、更に、幕末からの軍都としての歴史にも触れる展示とともに、戦時下の市民の暮らし、戦中、戦後の市民生活の苦労を子供たちがわかる資料の展示が計画されています。 本市ではさまざまな反戦平和の運動が取り組まれています。
2015年8月14日、安倍晋三首相による内閣総理大臣談話においては、戦場の陰には深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも忘れてはなりませんとした上で、20世紀において戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を胸に刻み続け、21世紀こそ女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしていくとの決意が述べられています。
さて、これらのラジオ塔のつくられた時期が昭和初期から戦時中にかけてであり、名古屋の場合、戦時下の物資が乏しい時期の昭和18年ころにつくられており、良質な材料が使えなかった時期ではないかと思われますので、近年のようなゲリラ豪雨や酸性雨などの厳しい環境変化が著しい中においては劣化が進んでいくのも早いのではと危惧しております。
その戦時下の記憶と北九州市の大きなかかわりとして、第2次世界大戦下の昭和19年8月20日午後5時、突如折尾の町に空襲警報が発令されました。そして、西のかなたからB29約80機が姿をあらわし、旧八幡市を目標に来襲してきたそうです。当時の小月基地から飛び立った少年飛行隊、野辺軍曹と高木兵長は、間髪入れず敵に第一弾を発射しましたが、全く撃墜には至りません。
このように、展示物が従来の戦時下の暮らしを中心にしたものから、八幡大空襲や市内各地の空襲の資料、戦後復興の資料など大幅にふえる見込みでございます。このため、昨年12月議会で新たに仮称平和資料館建設の考えを表明いたしました。
このように、展示物が従来の戦時下の暮らしを中心にしたものから、八幡大空襲や市内各地の空襲の資料、戦後復興の資料など大幅にふえる見込みであります。このため、昨年12月議会で新たに、仮称ですが、平和資料館建設の考えを表明いたしました。
このように、展示物が従来の戦時下の暮らしを中心にしたものから、八幡大空襲や市内各地の空襲の資料、戦後復興の資料、長崎原爆関係の資料など大幅にふえますので、新たに平和資料館を設置したいと考えております。その場所につきましては、9月議会で勝山公園一帯、あるいは近隣の交通の便のよい施設で検討すると答弁いたしましたが、さまざまにこの間検討した結果、勝山公園に建設することにいたしました。
52 ◯教育次長(森 雅彦君) 本市では、小学校社会科6年及び中学校社会科歴史的分野の学習において、戦時下の人々の暮らしの様子についての学びを取り扱うこととしており、戦争を体験された方からのお話やさまざまな資料等の活用を通して、千葉空襲を含め戦争の悲惨さや平和のとうとさについて計画的、継続的に指導をしております。
現在、戦時資料展示コーナーでは、戦時下の暮らしを中心とした展示を行っておりますが、今後は八幡大空襲を初め本市の空襲や、長崎原爆関連の展示を拡充させるなどの検討とあわせまして、展示場所のあり方についても検討を進めてまいります。 残余の質問は、関係局長からお答えさせていただきます。 ○議長(戸町武弘君) 技術監理局長。 ◎技術監理局長(下向則好君) 公契約条例制定に関する御質問にお答えいたします。